とにかく☆ヨ助のデジタルタトゥー

とにかく☆ヨ助のブログです。日常と音楽の話をします。

食・健康・生活習慣 ~引っ越しSP~

 こんにちは、とにかく☆ヨ助です。先週は超長編の記事をお送りしましたが、今週は就職先で研修が始まって忙しくなってしまったので短めでご勘弁していきたいと思います。というか、このテーマは日々の何気ない生活を頑張って思い出したうえである程度ストーリー仕立てにして記事を書く、ということをしないといけないので良いネタを考えるのが難しいんですよね。

 

 

引っ越ししました

 とはいえ、今月は自分の生活の中で大きな変化がありました。タイトルにもある通り、就職のために24年間暮らした実家を離れ、一人暮らしをすることになりました。一人暮らしそのものに関しては海外留学をしていたころにも少ししたことがあるのですが、日本と外国では生活環境がかなり違う上、留学先では掃除や洗濯などを大家さんがやってくださることも多かったので、一人で生活をすべて回すのは初めてです。

 

 

ごみ分別

 引っ越し先はごみの分別が7種類あり、分けるのがとても面倒くさいです。特に面倒くさいのは紙ごみと不燃ごみです。今住んでいるところは不燃ごみとプラスチックごみを分けて出さないといけないのですが、プラスチックなのかどうなのか一見見分けのつかないものがたくさんあります。たとえば、ヨーグルトのフタやインスタント食品の個包装に用いられる銀色の袋など、一見金属などで出来ていそうなものが実はプラスチックだったりします。どの包材にプラスチックが使われているかは商品パッケージに記載があるものがほとんどですが、ごみのように普段は無意識に扱っているものを新しく区別して覚えるのはかなり難しいです。

 

 また、布製品はそれ単体で袋に入れて出すことになっているのですが、1人暮らしでは布のごみなど早々出るものではありません。市が指定する一番小さなごみ袋に入れてもかなりスペースを持て余すことになり、そのまま出すのも勿体ないのでごみを長期間部屋にため込むことになってしまいます。

 

 

買い物

 買い物そのものは割と楽しいのですが、効率よく買い物に行くことの難しさを感じています。買っておきたいものは付箋にメモして居室と玄関の間の扉に張り付けておき、買い物に出かける時はその付箋を持って出かけるようにしているのですが、冷蔵庫の中身を確認しきれていないときなどはどうしても書き忘れが発生してしまい、次の日またスーパーに立ち寄ることになります。研修後などに毎日寄り道して帰るのは時間がもったいないので出来るだけ買い忘れの内容にしたいのですが、慣れるまでは同じお店に何度も足を運ぶことになりそうです。

 

 

駅前商店街

 周辺がザ・大阪の下町という感じのところなので、駅前商店街には安くておいしそうなものがたくさん売っています。お好み焼きは450円、海老が2尾乗った天丼が550円、カレー屋さんのカレールーがテイクアウトで420円、細長い揚げ物屋さんの軒先に売ってる卵がいつでも150円、市場のいちごは1パック298円などなど、魅力的な食べ物がたくさんあります。引っ越して2週間ほどなのでまだどれも食べたことがないので、これから長い社会人生活に一輪の華を添えるためにどんどん活用していきたい次第です。

 

 

 今月は以上になります。来週はツイート下書き通信です。

逆張りオタクを辞めたい考

 

はじめに

 こんにちは、とにかく☆ヨ助です。私事ですが今週の初めに就職先近くのマンションに引っ越し、間もなく入社前研修も始まるということで一人暮らしの解放感と独り立ちにたうする漠然とした不安の日々を送っているところです。

 

 さて、学生時代は悪いオタクとしての青春を送った私ですが、1,2年前から「これだけはやめた方が良いな…」と思っていることがあります。そう、記事タイトルにもある通り逆張りです。

逆張りとは?

 この記事にピンと来て閲覧してくださった方や普段から私と付き合いのある方に対して「逆張りって何?」ということをわざわざ説明する必要などないのかもしれませんが、単なるネットミームである逆張りという言葉に対するイメージは意外と人それぞれだということもあると思うので、逆張りという言葉の意味についてさらっと触れておきます。

 

 そもそも、逆張りという単語は金融用語の一つだそうです。日本証券業協会が運営する『投資の時間』というwebサイトによると、逆張りとは「相場のトレンド(流れ)に逆らった投資法のこと」を言うそうです。つまり、株式相場の値段が下がり調子の時に株を買い、反対に上がり調子になった時に売るという取引方法のことです。

 しかし、インターネット上では、「逆張り」という言葉は金融関連の話題に限らず、政治・社会やエンターテイメント関連の話題に関して「トレンドに逆らった見方」という意味で広く用いられています。例えば、Twitter上で逆張りという言葉を検索してみると、インターネット上で話題のコンテンツをあえて見ない人や時事問題に対する世間大方の意見と対立する立場のことを指して「逆張り」という言葉が繰り返し利用されている様子が見て取れます。

 

 この「世間大方のトレンドに逆らった態度をとる人」という意味の逆張りとオタクを合わせた言葉が「逆張りオタク」です。オタクとはある特定のコンテンツに対して突出した愛着を持つ趣味人のことですから、逆張りオタクとは「ある特定の趣味界隈で、流行りのコンテンツに対してあえて否定的な態度をとる人」のことだと理解できるでしょう。

 

逆張りは誰にとって良くないか

 これまで見てきた通り、逆張りオタクとは趣味に対する個人の向き合い方のことです。趣味の楽しみ方というのは個人の自由の範囲内のことですので、人が逆張りオタクであろうがなかろうが、原理的には全く以てその人の自由であると言えます。

 

 しかし、本人自身にとっての問題はさておき、周囲の人間からすると逆張りオタクは理解の難しい存在のようです。実際に、グーグルの検索欄に「逆張りオタク」と入力すると、サジェスト欄には非常にネガティブなワードが並びます。ネット用語を中心に言葉の意味を解説するサイト『意味解説辞典』によると、「「逆張りオタクという言葉は世の中の一般的な考え方や流行に対して否定的で自分独自の極端な価値観・好き嫌いを提示したがる面倒くさいオタク、屁理屈ばかりで共感のないオタク」の意味合いで使われることが多くなってい」るとされており、逆張りオタクという言葉がしばしばネガティブなニュアンスを含んでいることが窺えます[1]。また、ネット用語やオタク用語の意味解説サイト」を標榜する『ネットペディア』には逆張りオタクの類義語として「天邪鬼」が挙げられているように、逆張りオタクという言葉はひねくれ者の代名詞のように用いられる場合もあります[2]。

 

[1]:「逆張りオタク」とは?意味や使い方、例文や概要 | 意味解説辞典

[2]:逆張りオタクとは?意味や使い方を超わかりやすく解説!|ネットペディア|ネット用語やオタク用語の意味解説サイト

 

 それでも、「逆張りオタク」とはあくまで趣味に対する態度のことですから、逆張り的な態度をとるのはその人の自由です。また、もし自分以外の逆張りオタクのことが嫌いなら、その人のことは放っておけば良いだけです。その結果逆張りオタクが周囲から孤立しても、逆張りという行為がそもそも「世間の大勢とは逆の意見を持つこと」なので、ある意味自然なことでしょう。

 

 しかし、逆張り一筋で早10余年、自他共に認める逆張りオタクの私からすると、逆張りオタクであることは周囲との関係性を複雑にするだけでなく、自分自身にとっても多大な不利益を及ぼしかねない行為であると感じます。

 

なぜ逆張りをするのか -自己反省を中心に-

 私が高校生だったのは2010年代半ばごろ、BUMP OF CHICKENRADWIMPSを筆頭に、00年代から活動を続ける東京事変やASIAN KANG-FU GENERATIONといった歌謡曲風のメロディアスな楽曲とキーが高くて比較的細いボーカルが特徴のバンドが大流行していました。しかし、平沢進や初期P-MODELを経由してバンドを始めた私は、こうしたバンドがあまり好きではなく、ガレージロックやニューウェーブの影響を受けたバンドをコピーしていました。また、ボーカルを担当していた私はフロントマンであり自ら歌詞を口にする立場として、こうした「アンチメインストリーム」の立場をデフォルメし、時には少々過激な発言もしながらバンド活動を続けました。

 

 時は過ぎて大学生のころ、軽音サークルではなくDTMサークルに入った私はバンドマン界隈の文脈からは少しずつ離れ始めるのですが、高校時代を通して作り上げたアンチメインストリームの発想は土俵が変わってもそのまま引き継がれました。もともとロックばかりを聞いていたわけではない私はロック以外のポピュラー音楽や小学生の頃好きだったラテン音楽なども聴くようになるのですが、ここでも「DTM界隈でのメインストリーム」のように見える音楽からは敢えて距離を取り、聴こうともしませんでした。大学2回生の頃、星野源や米津玄師といったこれまでのJ-POPとは一線を画した作風のミュージシャンが次々とヒットチャートの上位に食い込み、ポップス系のDTMerでも広く流行りだしたのですが、私はこれらの音楽を一切聴かずにむしろどんどんとマイナーな音楽を追い求めるようになりました。そうやってたどり着いた先が、タイのインディーポップという当時の国内ではほとんどだれも聴いていないようなジャンルでした。

 

 タイインディーポップの名誉のために弁解しておくと、私がタイポップスにハマったのは決してただマイナーな音楽を追い求めたからではありません。小学生の頃ハマったアニメの主題歌を歌っていたのがたまたまタイのアイドルだったことや、タイインディーズ業界と渋谷系を中心としたJ-POPとの相互の影響などもタイポップスの魅力の一つです[3][4]。また、私自身兼ねてから東南アジアの文化や社会に興味があり、大学で東南アジアの言語を専攻していたのもキッカケの一つではあります。しかし、バンドのボーカル時代からの逆張り指向と私の興味関心がたまたま重なって、タイを初めとした東南アジアポップスdigに励むようになったことは否めません。

 

[3]:特集:「タイへ行くつもりじゃなかった」(!?)──ひそかに盛り上がるタイの“渋谷系”シーン - CDJournal CDJ PUSHによると、タイのインディーズ系大手レーベルsmallroomは、オーナーがバンコクTSUTAYAで偶然見つけたフリッパーズギターのCDに衝撃を受けたのがきっかけであるとされている。

[4]:80年代サウンドでタイから世界へ!POLYCAT と山下達郎 | STUDIO MUSHROOM IRON

 

 ところで、先ほども述べたように、日本人にとってのタイポップスの魅力の一つに、タイと日本のポップミュージックが長年相互に影響を与えあってきたというのがあります。具体例を挙げると、タイ最大のインディーポップレーベルであるsmallroomは初代オーナーがフリッパーズ・ギターのCDを聴いて衝撃を受けたのが設立のきっかけですし、タイシティポップの代表的アーティストであるPolycatのボーカル・Naさんは山下達郎の大ファンを公言しています。このように、タイインディーズ業界は日本のポップミュージックと文脈的にかなり地続きなところにあると言えるのです。そして、こうしたタイインディーズへの私自身の傾倒は、やがて日本のポピュラー音楽への立ち返りを促すものになっていったのです。

 

 しかし、ここで頭をもたげるのが例の「逆張り指向」でした。自分の好きな音楽が過去の日本の流行の一丁目一番地とつながっており、現在の日本のポップス業界はその文脈上に形作られたものだ。でも、思春期に流行りを否定することで自分の趣味を形作り、その上その発想をアマチュアでコピーとはいえ自分の表現に落とし込んできた手前、自国の流行り物に簡単に飛びつくことなど「負け」を認めること同然だ--- こうして20歳を過ぎて少ししたころ、私のアイデンティティ暗黒時代が訪れたのです。

 

 こうして私に精神的な苦痛をもたらす大きな要因となった逆張り精神なのですが、私は逆張りそのものが悪いことでは決してないと今でも思います。

 

 そもそも、日本ポピュラーカルチャーのブームは一般的にマスメディアや製作会社といった企業の活動が中心になって形作られています。その例として代表的なのが音楽グループとしてのAKB48でしょう。AKB48はCDに握手会の応募券などを封入することで消費者にCDを何枚も買わせてセールスを伸ばし、日本のポップミュージシャン人気の指標のひとつともいえるオリコンCDシングルランキングなどのチャートを席巻していきました。しかし、これらの売り上げの内実に目を向けるとファンが握手会の応募券を目当てに購入した数が相当数を占めていると考えられるため、AKB48の音楽そのものが純粋に評価されたとは言い難い部分があります(もっとも、握手会の売り上げは「アイドル」として正当な評価の指標になり得るでしょう)。それにもかかわらず、音楽的な評価をされているとは言い難いAKB48が音楽番組を含めたメディアで頻繁に取り上げられ、音楽的に技巧を凝らした作品がメディアを通した流行に繋がりにくい状況が一時的に形作られることになりました。

 

 このように、産業的に生み出された「ブーム」が複雑な要因によって形作られ、かならずしも多くの人の琴線に触れるものがブームの俎上に載らなくなってきている状況において、逆張りという発想は非常に有効であると言えます。自らの趣味にあったものを上手く選別することで趣味を快適に楽しむだけでなく、物を作る側になった場合にはより理想に近い方向で自分の感受性を形作ることができます。

 

SNS時代における逆張り

 しかし、インターネットやSNSの浸透によりサブカルチャーそのものにおけるマスメディアの影響力が低下し、ジャンルもクオリティも様々な作品が並列で可視化されるようになった現代において、「流行っているかどうか」。基準にコンテンツを選別することは以前より有効的ではなくなってしまいました。また、それぞれの界隈の「通」がより良いコンテンツにアクセスすることも以前より容易になったため、その界隈の中で流行るということは、マスメディアの時代と比べてより純粋な多数決になってきていると考えられます。

 

 ですから、ネット社会において逆張るという行為は、単にひねくれ者の烙印を押されるだけでなく、多数決の原理によって支持されている良質なコンテンツへのアクセスから自らを遠ざけてしまう危険性もあるのです。さらにこのことは、単に趣味としてポピュラーカルチャーに親しむ人よりも趣味にアイデンティティを仮託するオタクにとっては由々しき事態でもあります。なぜなら、オタクにとっての生命線である「趣味のセンス」を磨く貴重な機会をみすみす逃してしまうことに繋がるからです。

 

逆張りを上手に辞めるには

 個人が作品にダイレクトにアクセスできるようになったインターネットの時代において、逆張りはかなり大きなリスクを伴う行為になったと思います。しかし、これまでに述べてきたように、逆張りには作品のクオリティを度外視したマスメディア中心の「ブーム」に巻き込まれるのを回避できるという利点もあります。それでは、こうした趣味者としての奥行を保ったまま流行の作品をうまく選別するためにはどうすればよいのでしょう?まぁ、もちろん趣味なんて楽しめれば何でもいいものではあるのですが、私も含めた逆張りオタクはしばしば趣味にアイデンティティを賭けている場合があるので、一応大真面目に論じてみます。

 

 まず、私はそれぞれのコンテンツに対して作品の背景を知るということが大事だと思います。これはある意味作品そのものではなくその作品がおかれている文脈を読むことになるので作品を純粋に楽しんでいないということになるかもしれませんが、個人的には作品を楽しむことに対して「純粋さ」などというものは存在しないと思っています。

 

 どんな作品も、そしてどんな受け手も作り手も、特定の社会環境のなかで創作を行ったり、コンテンツを消費しているわけですから、作品と作者が切っても切れない関係であるように、作品と社会も否応なく関係性を持っているわけです。そして、良い作品というのはしばしば技術的な洗練具合とともに作品に込められたメッセージ性の高さや新規性によっても評価されます。映画や小説が多くの人に受け入れられるのは、多くの人の共感を得たり、心を揺さぶったりするからであって、そうした人の心を動かす力は記述だけでなくその作品の意味からも発せられているため、受け手として作品を消費する際に作品の背景にも気を配ることで、人の心をより強く揺さぶる力を持った作品を敵撮ることができるでしょう。

 

 しかし、作品の背景を知ることはそのまま複雑な社会のことを学ぶことにもつながっているため、そう簡単にできることではありません。そのため、脱逆張りムーブのはじめの一歩には少々適さない場合があるかもしれません。私自身、興味を持った作品に関しては設定や作り手の社会的な意味を吟味するように心がけていますが、世の中に溢れるすべてのコンテンツに対してそうできるわけではありません。

 

 そこで私は、深掘りするジャンルをかなり狭く絞り、そのジャンル以外では手を抜くという方法をとってみています。先ほども述べたように、そもそも溢れるように存在するこの世のすべてのコンテンツに触れることは不可能なのですが、たとえば深夜アニメや邦ロックという風に趣味のジャンルを絞ったとしても、その中で各々がとても好きなのもと好きでないもの、さらにはそのどちらにも属さないまぁまぁ好きなものという風にある程度好みがあるのではないでしょうか。このように自分の専門ジャンルの中でもさらにジャンルを絞り、強いこだわりを持つのはそのジャンル内だけにして他のものは流行りの物や友達のおすすめを漫然と摂取するようにしています。趣味にメリハリをつけることで、特化したジャンル内ではオタク的なこだわりも追及することができますし、それ以外では情報収集にコストをかけることなく面白いコンテンツに触れることができるので、案外楽しい趣味生活を送れるのではないでしょうか。

 

おわりに

 ここまで、逆張りオタクの利点と弱点や逆張るという行為が自分自身に与えるデメリットについて述べてきましたが、私が提案した解決方法も結局は膨大な勉強や趣味の幅を狭める行為が必要であり、やはりすべてのジャンルにおいて「センスのいいオタク」になるのは物理的な限界があると思います。しかし、アイデンティティというのは歳を重ねても自分を支える支柱になるものですから、もし特定の趣味をアイデンティティの拠り所にしている方が読んでくださっていたとすれば、一旦自分なりに真面目に考えてみてもいいテーマだと思います。

 

 最後に、趣味は所詮趣味以上のものではなく社会生活においては何の意味もなさない、という意見を時たま耳にしますが、自分が好きなことをとことん追求するという行為は社会云々に関わらず純粋にやっていて楽しい行為だと思います。ですから、社会との距離をうまくとりつつ、自分のこだわりも貫き通せるような理想的なオタクライフを送れる人が増えることを願っています。

 

月間布教したい曲で賞 2022年2月度版 (loserpop、花澤香菜、ヴィオレット・ウォーティア、NECO ASOBI)

こんにちは、とにかく☆ヨ助です。

今月もSpotifyの新曲通知を中心に好きな曲をたくさん見つけられました。先月はK-POPを多めに聴いていましたが、今月は邦楽の波が来た感じです。という訳で、今月の選曲はタイポップス2曲、日本のポップス2曲です。

 

 

 

1曲目

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 1曲目はタイのチルポップバンド、loserpopが2月にリリースした新曲『ช่อดอกไม้ (Scent)』です。

 タイのインディーズと言えばトロピカルポップ的な肩の力が抜けたギターサウンドが特徴のバンドが豊富なのですが、ここ数年来のシティポップ/ヴェイパーウェイブ人気と相まって、良質なチルポップバンドがインディーズ界で多数フューチャーされています。

 そんな中でもloserpopはそんなインディーズバンドとしてのギターサウンドをリードに用いつつも甘いボーカルや歪みの少ない音作りで聴きやすい曲が多いです。

 

 

 

2曲目

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 2曲目は声優花澤香菜さんがポニーキャニオンに移籍して初めてリリースしたアルバム『blossom』から『息吹 イン ザ ウィンド』という曲です。

 この曲が入っているアルバムは大学で所属しているサークルのメンバーによる評価が軒並み良いのでSpotifyで聴いてみたところ、良質シティポップがわんさか入っておりヤベ~~~~~~!!!!となりました。この曲は空間系のエフェクトがヴェイパーな質感を生み出しておりとても良いですね。

 

 

 

3曲目

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 タイの歌姫オーディション番組からデビューしたヴィオレット・ウォーティアが昨年夏にリリースした『กักตัว』という曲です。嫉妬をテーマにした曲ということで、キュートなMVが眩しいです。

 この曲はタイのインディーズ系楽曲を中心にオンエアしているCat Radioのフィラーで知りました。2番のサビから入るクソデカいスネアがキャッチーで好きです。タイポップス界はこういうキャッチーなワンショットが入っている曲がメディアで取り上げられることが多い気がします。結果的に日本にいても分かりやすくて面白い曲が知れて良いです。

 

 

 

4曲目

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 4曲目は東京でご活躍中のインディーズバンドNECO ASOBIの『君と月とサイダー』です。

 アジアやアメリカのサブカルチャー界では一大ムーブメントとなったヴェイパーウェイブですが、国内のメディアやSNSではイマイチ盛り上がり切らない印象です。しかし、80年代サブカルのお膝元である日本でも、ネット発の文化を取り入れつつニューウェーブやポストパンクを再解釈したバンドがいることにとても感動しました。

 シーケンスフレーズの多用やドライなドラムといった80'sロックの要素を受け継いでいる一方、コーラスのかかったギターや細くてキーの高い女性ボーカルは2010年代後半以降のインターネット文化のそれであり、とても味わい深い楽曲です。

 

今月は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。

ツイート下書き通信 2022年2月号

 こんにちは、とにかく☆ヨ助です。このブログも更新頻度を上げてから1か月が経ちました。前回の記事を上げてからほどなくして累計閲覧回数100回を突破しました。記事をアップロードするたびに読んでいただける方がいるということがとても嬉しいです。

 

 さて、ツイート頻度を減らす目的で始めたツイート下書き通信ですが、1月号の投稿時に週一回ほどだったツイート頻度がここ最近は2日に一回ほどとなり、順調にツイ禁失敗への道を歩んでいます。

 とはいえ、私としてはこれでもツイートを我慢している方で、今月も私のアカウント(@AnywayOK_suke)には10数個のツイート下書きが貯まっております。今月もその中からいくつかを抜き出して、ここで発表したいと思います。

 

 

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完全に春やん!最高~~~~!!!

 

 

 嬉しい~~~~~~~!!!!!!!!!

 みなさんがお住まいの地域でも、今年の冬は例年よりも一段と寒かったのではないでしょうか。私の地元でも、今年は何度も雪が積もりました。大晦日の夜中11時にアルバイトを終えたら自宅までの道が凍っていた時の絶望感は半端ではありませんでした。気温に関しても例年は0度を下回る日など年に数えるほどしかないのですが、今年の冬は年明け以降そのような日が何日も続き、かなり辛かったです。用事のない日は毎日、起きてから1時間は布団の中で過ごしていました。

 それだけに、ここ最近の手のひらを返したかのようなぽかぽか陽気には感謝しかありません。ありがとう太陽、ありがとう地球。耐え忍べば、春は必ずやってくるのです。

 

 

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バイト先の店長が大学院卒で仕事も探さずふらふらしているアルバイトの後輩を指して「人生を謳歌している」と言っていて90年代っぽいな~!!!と思った

 

 

 私自身周りから見れば「ふらふら」と生きてきた方なので後輩に対して馬鹿にする気持ちはないのですが、後輩の生き方を「人生の謳歌」と捉える店長(40)の感性は正直古いなと思いました。

 そりゃ一昔前はバブルがはじけたと言っても世界2位の経済力で向かうところ敵なしだったかもしれませんが、今の日本社会は人口減少や国際的な経済力の低下を背景に「どうにかなるでしょ」的空気感は年々消えてきているように思います。かといって安定雇用の道を選んだとしても今どき大した給料も出さずにリストラのリスクさえあるのにモーレツ社員(笑)を求めるオールドスクールな企業もまだ数多く存在し、若者にとっては社会のどこに身を置いてもリスクと隣り合わせの時代であると言えます。

 もちろん、そんな社会の中で「ふらふら」生きようと、安定への道を歩もうとその選択自体は全く以て選択の自由の範囲内です。しかし、一方を「人生の謳歌」と捉え、もう一方を不幸の始まりのようにとらえる店長の発言はさすがに時代錯誤のしょっぱさを隠しきれません。20代の頃は仕事の成績も良く、社内で表彰されるほどの人物だったという彼も今となっては会社の都合で左遷を繰り返しており、冒頭の発言に対しては苛立ちを通り越してある種のわびさびさえも感じます。

 余談ですが、この店長は6回生にして就職を決めた私に「お前も年貢の納め時かw」と言ってきました。このセリフは一生忘れません。

 

 

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インターネットや資本主義にラブがないことよりもインターネットや資本主義にラブがないことを分かっているのに辞められないことがネックになっていることの方が多くて、世の中厳しいねつってる

 

 クソデカ主語、社会ワード、ネガティブ発言などツイートに必要な要素が全て詰まっており、芸術点の高い作品となっております。これ、どうしてこんなことを書こうと思ったのかが全く思い出せないのですが、正直今読んでも「確かにな~」という気持ちになります。

 資本主義において労働者は労働から疎外される、とはカール・マルクスが150年前に主張ことなのですが、マルクスの思想の顛末である社会主義の試みがほとんど潰えてしまった現代でも労働問題などの議論で前提とされるべき考え方だと思います。同様に、インターネットが人間に及ぼす悪影響も専門家の間で議論されており、ブルーライトが人体に及ぼす影響やSNSや広告のアルゴリズムによる表示情報の偏りなど、今日では非専門家にも知識として知られるようになってきました。つまり、資本主義やインターネットが負の側面を持っているということは、今や知識上誰でも知っているようなことです。

 それでも、人は資本主義やインターネットを手放すことができないのはなぜでしょうか?それは恐らく、私たちが資本主義やインターネットに依存しているからでしょう。資本主義を例にとってみると、「結局お金が一番大切」と言ったって、ただお金を持っているだけでは腹も満たせませんし、家に住むこともできません。お金があらゆる目的の手段になることはあっても、それ自体が目的では決してあり得ません。また、インターネットに関しては世間に浸透してからまだ30年も経っていないので言わずもがなでしょう。今でいうと大体50歳以上の方はもれなくインターネットのない世界を実際に経験してこられたわけですし、デジタルネイティブ世代の我々も、ツイッターやインスタグラムを辞めても実生活に何の影響もないということは薄々分かっているのではないでしょうか。

 資本主義やインターネットは万能ではなく、特定の条件が付いた時だけ人の役に立つ道具なのです。資本主義やインターネットはもっと積極的にコントロールされるべきだと私は思います。

 

 

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やっと気づいたんだけど、適度な運動はメンタルに良いな

 

 ここらで一つくらい、明るいツイートでも挟んでおきましょう。

 就職先が体力仕事であるということもあり、最近は軽い運動を始めてみました。とはいえ、小学校2年生で体操教室を辞めて以来文化系一筋で育ってきた私がいきなりジムで筋トレに励むこともできないので、まずは柔軟体操と1km程度のランニングから始めてみています。

 ここ数年はメンタル的な不調もあって休みの日は家から一歩も外に出ずに引きこもって過ごす日々だったのですが、少し外に出たり身体を動かしたりするだけで実体のない不安のようなものがかなり解消されて楽な気持ちになってきました。また、それなりに疲れるので不眠の解消にも一役買っています。運動が体にいいらしいというのは何となく噂で聞いていたのですが、まさかここまでとは。

 

 

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今は似たような立場の友達が就職していくのが不安かもしれないけど、これから立場が変わっていけば大半の人は他人になるから、そんな人に無理についていこうとせずに自分が真剣になれることを突き詰めていったほうが良いよ

 

 これは留年経験のある某友人に送ろうと思って辞めたリプなのですが、留学1年、留年1年を経て24歳で大学を卒業することになった自分の大学生活に対する振り返りから来たものです。

 このブログで折に触れて書いているメンタルの不調は3回生の春ごろから深刻さを増し始め、1年の留学期間を経た後にはズタボロに近い状態でした。そのため、すぐに復学して卒論執筆や就職活動を行うのが困難だと感じていた私は一旦休学しようと思い立ちました。しかし、大学の休学届というのは保護者の許可が必要で、当時両親と大きな喧嘩を繰り返していた私にとってはかなりハードルの高いものでした。そのうえ、両親は「メンタルヘルスという概念はこの世に存在しない、医学が実体のないものをあるかのように見せかけているだけだ」という精神病懐疑論者で、私の状態を説明しても徒労になるのは目に見えていました。そんなこんなで22歳の秋、私は両親に内緒で履修登録を故意にすっぽかし、学校を行くふりをして家を出てはバイト先で一日を過ごす、という日々を始めるのでした。

 この頃、同じ年に大学に入学した友人は、国際系専攻で休学率の高い学科の友人を除いたほとんどが4回生になり、就職先なども決まり始めている頃でした。学科の友人は留学から日本に戻って卒業への準備を始め、高校時代や他学部の友人は既に卒業後を見据えた生活を送り始めている中、私は朝の時間を独りファミレスで潰し、昼前からはアルバイト先に向かってそのまま夜9時まで働くという生活。そのころ、たまに会う高校時代の友人から卒論や将来の就職先についての話を聞くたびに、いままで当たり前のように親しんできた人や物が今や遠い向こうに霞んで見えるような心地になったものです。

 しかし、同じ学生同士として気軽に会うことのできた友人も多くが仕事で忙しくなり、また自分は自分で2年遅れの卒業論文や就職活動に追われているうちに先に卒業した同期との連絡はだんだんと減っていきました。そのことに寂しさを感じる余裕もない、というほどではなかったのですが、自分が張った意地を最後まで張り通すのに精いっぱいで、かつての身近な人にしばらくぶりの連絡をすることもだんだんとためらわれるようになりました。

 こうして二つの道はだんだんと左右に別れ、しばらくは並走していた道同士も、いつしか全く別々の終着点を目指すようになっていきます。はるか遠くの目的地を見通せないうちは偶然重なった道を歩く人があたかも一生の伴走者のように見えるものです。しかし、別のところで生まれた人同士はそれぞれ別の引力に引かれ、二人の歩調は少し、また少しとずれたものになっていきます。それは一時寂しかったりつらいことに思えるかもしれませんが、そんなことはありません。道が分かれるのは、あなたがあなた自身の道を歩いている証拠なのです。

 就職先が決まって地元を離れることが決まった今、高校時代のある友人に久しぶりに連絡を取りました。その友人は恐らく、私が歩もうとしている道や人知れず張っていた意地のことは知らないことでしょう。でも、分かれ始めは不安でも自分は自分の道を歩いているのだということがはっきりと分かった今は、前よりも少しだけ胸を張って生きることができているように思います。だから、このツイートを送ろうと思ったあの人も、きっと大丈夫なのだと私は思います。

 

 

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長くなりましたが、今月は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

食・健康・生活習慣

 こんにちは、とにかく☆ヨ助です。このブログではツイートの下書きやサブスクリプションサービスを用いたdigで知った曲を紹介する記事などのインターネット臭い記事を中心にアップロードしてきましたが、このブログの目的はタイトルにある通りとにかく☆ヨ助の個人情報を記録していくことにあります。なので、月に1回くらいは食や生活といった人間っぽい話題を記事にしてアップロードしていこうと思います。

 書いてみると思ったよりどうでもいい話の寄せ集めになってしまったのですが、まぁ他人の日記を読むような気持でゆる~く読んでみてください。もうちょい中身のある内容のネタを思いついたらこのテーマの投稿はしれっと辞めるかもしれません。

 

 

ちょっとでも運動したら寝付けないのがマシになった

 大学生になってからというもの、私は不眠に悩まされておりました。電気を消して布団に入っても何時間も眠ることができず、ひどい時は12時ごろに布団に入って眠りにつけたのが5時や6時、なんてこともありました。寝る前はスマホを見るのをやめてみたり、youtubeで快眠BGMを流してみたり、睡眠導入剤を試してみたりとぐっすり眠れるように色々なことを試していたのですが、どれも結果にはつながらず、相変わらず真っ暗の部屋で横になってただただぼんやりと考え事をする時間を過ごしていました。

 しかしある日、宅配のアルバイト中に乗っていた原付がガソリン切れを起こしてしまい、ガソリンスタンドまでバイクを押して走る羽目になりました。ガソリンが空とはいえ本体だけで100kg以上もあるバイクを押して15分以上も歩くことになってしまったのですが、その日の夜は普段なら頭の中に広がってくるぼんやりとした思考が広がらず、布団に入ってからものの10分程で眠りにつくことができました。

 次の日、長年の不眠を解消するチャンスはもしかすると運動にあるのかもしれないと思い、バイト終わりに15分ほどランニングをしてみました。するとあら不思議、次の日もぐっすりと眠れたではありませんか…!

 考えてみれば、大学では文化系のサークルに属し、体育という科目がなくなってからというもの身体を動かすことが全くなくなっていたのですが、不眠の症状が出始めたのはちょうど生活の中から運動の二文字が消えた時期からでした。しかも、社会人で一人暮らし等をしていれば日々の生活でそれなりに体力も使うのでしょうが、実家暮らしで大学生の私は日々の暮らしで体力を使う瞬間なんてほとんどありません。楽な暮らしをしていることが逆に身体に悪影響を与えてしまっていたのかもしれません。

 

モンスターエナジーの消費量を減らしてみた

 お酒もたばこもやらないのでまぁいっか~とほぼ1日1本飲んでいたエナジードリンクを、基本的に飲まないことにしてみました。エナジードリンク自体は味が好きで、小さなころからオロナミンCやデカビタDをよく飲んでいたのですが、大学に入ってからは寝不足の時などにカフェインのたくさん入ったエナジードリンクを飲むようになりました。しかし、飲む頻度が増えてきたのに加えて、飲んでもあまりシャキッとしなくなってきたので、たまたま精神的な余裕が出来たついでに辞めてみることにしました。

 カフェイン由来の依存性もあるのかふとした瞬間に無性に飲みたくなることもあるのですが、家にストックするのをやめてしまった上に値段も1本200円超とジュースとしてはかなり高いので今は週に1本飲むか飲まないかというくらいになりました。そのおかげでお小遣いが余る勢いで溜まっていくので、習慣的にのっむのを辞めて良かったなと感じています。

 

卒論発表帰りにサイゼで豪遊

 私事ですが、今月に大学の卒業論文を書き終わりまして、その内容を教授たちに囲まれながら発表する会をやってきました。その内容自体はまぁ正直言って何とも言えない感じだったのですが、ともかく発表が終わったという解放感が凄かったので会の帰りに2か月ぶりにお酒を飲んでしまいました。私にとってサイゼリヤというと、バイトの日の昼食代を節約するために300円のミラノ風ドリアひとつで粘る場所としておなじみだったのですが、その日は締めて一人で2000円を貢いでしまいました。

 サイゼリヤといえば、メインの料理に客が自分でアレンジを加えるのが醍醐味だと思います。その日は私もエビのクリームグラタンとオリーブアンチョビのサラダにバッファローモッツァレラをトッピング。キリン氷結のレモン味と共にいただきました。グラタンはもともとクリーミーなのがさらにまろやかになり、サラダも野菜の苦みを緩和してくれてとてもおいしかったです。

 その後、二回目の注文で赤ワインとプロシュートの生ハムを注文。私はお酒を飲み始めたころに友人とコンビニの1000円ワインを飲み、盛大に悪酔いしてからワインがトラウマだったのですが、サイゼリヤのワインはさっぱりとした味で悪いアルコールの味もせず、何よりもプロシュートの塩気とぶどうの濃さがめちゃくちゃ合うのでとてもおいしくいただきました。その日はイタリアの食文化と大手外食チェーンの徹底したコスト削減に万歳しつつ、久々のお酒を楽しみました。

 

ということで、今月の食・健康・生活習慣に関する出来事の中で思いついたことをつらつらと書いてみました。

続かない

 小学生の頃、夏休みの宿題で出た「毎日日記を書こう!」という課題は、毎年8月終わりになってまとめて書いていた記憶がある。

 夏休みになると学校に行かないので、友達と関わる機会がない。今年25歳になる私の小さい頃は、まだまだ携帯電話を持っていない子どもの方が多く、学校が休みになると友達と会う時間も自然に減った。では、約一か月もある長い休みに何をして過ごしていただろうか。おぼろげな記憶を辿ってみると、両親に遊びに連れて行ってもらうほかには、塾に行ったり図鑑を読んだりして過ごしていたと思う。小さなころから勉強が好きだった私は、塾や図鑑が好きだった。つるかめ算のやり方を教わったり、中国の簡体字や昔の特急列車の歴史を知ることが面白くてたまらなかった。でも、塾や図鑑で身につけた知識は「その日に起きたこと」ではないから日記には書けない。そもそも、その日一日を振り返るという理由がよく分からない。こんなことをやって何の意味があるのだろう?

 私は、夏休みの日記をサボっては母に叱られた。

 

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 勉強が好きだった私は、ラッキーなことに勉強ができた。だから、中学は公立の中高一貫校を受験し、合格した。でも、中学生活についていくのは、私にとって決して簡単なことではなかった。学校の授業や課題のレベルが小学校とは比べ物にならないほど上がったからである。小学校の頃は勉強が出来なくて困ったことは一度もなかった。夏休み課題の日記のように、期限ぎりぎりになって作業のようにこなしてしまえば簡単に片付いた。一方、中学の課題は考えなければ解けない。おまけに、難関国公立大学に現役合格できるような生徒を6年かけて育てようというコンセプトの学校なので、課題の質だけでなく、量も格段に増えた。根が面倒くさがりの私は英語や社会といった得意科目の宿題だけをやって、他の課題はやらないことが増えた。

 

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 高校では軽音部に入って、ひたすらに遊んだ。勉強はあまりしなかったけど、好きこそものの上手なれで得意科目の成績はかなり良かった。高3のころ、小学生のころから通っていた塾で進路面談を受けることになった。面談の相手は私を小学生の頃からみてくれていた塾長先生だった。先生はとても厳しく、子どもが努力を怠れば手を出すことも厭わない昔カタギの先生だった。もともと勉強が好きだった私は、中学の課題をサボるようになってからも塾の宿題は真面目にこなした。学校より塾の授業を真剣に聴いた。だから、10年間通った中で直接叱られた経験も数えるほどしかなかった。

 もう夏も近いというのに、私は受験勉強の類を一切していなかった。その頃の私は苦手科目が足を引っ張っていたものの、努力次第では第一志望の大学に手が届くものだった。私は先生に、受験勉強をしていないことを素直に告白した。すると先生は怒りこそしなかったけれど、今までにない真剣な表情で私を諭した。「今が最後のチャンスだぞ。」

 私はそこで生まれて初めて、努力というものをすることにした。そこから約8か月間、苦手科目にも真面目に取り組み、見事志望校に合格することができた。

 

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 私が入ったのは、某大学の外国語学部だった。専攻する言語には、高校の頃から興味があった。だから、外国語の初級でありがちな発音やごくごく簡単な文法の授業は私にとってはかなり簡単だった。

 それよりもつらかったのは、大学生活をうまくスタートできなかったことだった。まず、5月に母親が交通事故に遭って入院し、家で家事をする人がいなくなった。私はこれまで面倒くさがって家事を習ってこなかったし、それでなくても往復3時間かかる大学で朝から晩まで授業を受けなければならなかった。単身赴任の経験がある父が最低限のことはやってくれたけど、会社に行かなければならないので時間は当然限られている。大学から疲れて帰ると、家事をやらない私は父によくどやされた。

 この頃辛かったことはもう一つある。小学生の頃から高3までお世話になった塾で講師としてアルバイトをすることになったのだけれど、このバイトが今でいうブラックバイトだった。大学の授業が始まる2週間ほど前、私は突然塾に呼び出され、担当する科目と時間を勝手に決められた。そして、受験からの解放感を味わう間もなく先輩のバイト講師から短い研修を受け、そのままいきなり黒板の前に立つことになった。私は問題を解くのは得意だけど、人に勉強を教えたりするのが下手だった。そのうえ、子どもの頃から工作やお絵かきが苦手だった私は板書やレジュメを作るのが遅い。私の塾では授業資料を作るのに給料は一切出ないので、日付が変わるまで塾に残って資料を作った。でも、慣れない新生活と急な家での家事手伝いで疲れていた私はミスを連発した。私はバイトが休みの日にも塾に呼び出され、また日付が変わるまで資料を作り直した。

 そうして寝不足の体いっぱいにストレスを溜めこんだ私は、大学の授業をサボるようになった。通学に使う電車を乗換駅で降りずに、終点の繁華街で降りる。お金も、すぐに連絡のつく友達もないので、平日昼間の街中をただひたすらに歩いた。時には1日10km近く歩いて、隣の市まで行ったこともあった。

 

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 今年からブログを始めてみることにした。メンタルクリニックで受けたIQテストによると、私の言語認知能力はズバ抜けて良いらしい。出鼻をくじかれ、面倒くさがりの気質もあってこれといったことはできなかった大学生活だったけど、楽しいこともなくはなかったし、高校まで苦労の少なかった分いろんな経験をした。得意なことも不得意なこともあるけど、これからは得意なことをできるだけうまく生かせるようにしたい。そうだ、まずは手始めにブログでも始めてみよう。もともとおしゃべりは好きだし、続けているうちに何となく文章が上手くなったりすれば、これからの人生で何かの役に立つかもしれない。とりあえずは週に一回。毎月固定のネタもいくつか考えたしこれなら続くぞ、よーし。

 でも、今週は何も書くことが思い浮かばなかった。これを書いている日は丸一日休みだったけど、何となくブログを書く気分にならなかった。でも、まだ2回しか更新していないこのブログを今日サボると、きっともう金輪際更新しないだろう。だから、何でもいいから書いて更新しなければ。

 

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 人は簡単に変わらない。しかも、大人になればなるほどその傾向は強くなるらしい。今年25歳になる私は来年から就職することになる。年齢的にも立場的にも、きっとこれまでほど自由はきかなくなるだろう。じわじわと歳を重ねて、手に届くものと届かないものの区別がついてくる。自分の周りにあるものの大切さが、少しずつ身に染みてくる。それでも、まだ変えたいという希望はある。千里の道も一歩からというけれど、ブログを続けるというとても単純な目標さえもまるで砂漠の蜃気楼のようだ。

月間布教したい曲で賞 2022年1月度版 (FOLK9、LUCY、阿佐ヶ谷ロマンティクス、fromis_9)

 こんにちは、とにかく☆ヨ助です。

 

 

 大学2回生でSpotifyに加入してから音楽のdigがかなり捗るようになりました。自分の場合は特に東南アジアや韓国・台湾の音楽をよく聴くので、日本と比べて音楽界におけるサブスクの浸透が早かったこれらの地域の音楽を漁るのにとても重宝しています。

 

 というわけで今回はそんなサブスク経由で発見した曲や好きなアーティストの新譜など、先月聴いた曲の中で布教したい曲をいくつか紹介します。

 

それでは一曲目です。

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 一曲目はタイのドリームポップバンド・folk9と海外を中心に活動する日本人シンセポップバンド・Luby Sparksが一昨年にコラボしてリリースした楽曲『Circles』のヴェイパーウェイヴ風リミックスです。

 

 Folk9というバンドは以前からアルバムのボーナストラックに楽曲の逆再生やスロー再生を収録するなどヴェイパーウェイヴへの共感を感じられるバンドでしたが、今回のリミックスでは元曲の遅回しはもちろん、執拗なボーカルフレーズの繰り返しや元ネタを切り刻んで展開を並び替える作曲方法など、ヴェイパーウェイヴ的な表現がより直接的に取り入れたリミックスとなっています。

 

 

それでは次の曲です。

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 韓国のオーディション番組から誕生したバンドLUCYの『Rolling Rolling』という曲です。自分は初めバイト先の有線放送で聴いたのでアイドルグループかと思っていたのですが、オーディション番組の中でミュージシャンとしての才能も加味して選ばれたれっきとしたバンドのようです。

 

 楽曲も日本人が一般的に想像するK-POPではなく、4ピース+ピアノ+ストリングスで構成されたさわやかなバンドサウンドです。個人的にはBump of Chiken的な邦ロックの現在的な再解釈に聴こえました。ドラムのリバーブがかなり控えめであったり、Bメロで小刻みなアタック感を出すためにピアノをクランチさせたような音を使っていたりと、ロックではないところからの文脈性も感じられていい曲なのでぜひ聴いてみてください。

 

3曲目は日本のインディーズバンドです。

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 サブカル音楽マニア御用達レーベル・P-VINE Records所属のラテンインディーロックバンド、阿佐ヶ谷ロマンティクスが1月にリリースした最新アルバム、『大人幻想』のなかから『独り言』という曲です。

 

 レゲエの影響を思わせる本格的なリズムワークと日本語ロック的なもの寂しい歌詞が魅力的なバンドですが、スローテンポでメロウなこの曲は有坂朋恵さんの優しくも骨太な歌声やコロナ禍で離れ離れになった人達を思わせるような歌詞がマッチしており、アルバム中でもひときわ哀愁の漂う曲となっています。

 

 

最後はこの曲です。

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 一曲目はfromis_9という韓国のアイドルグループが先月リリースしたE.P.の中から、『Hush Hush』という曲です。

 

 このグループは韓国女性アイドルとしては王道のミドルテンポの4つ打ちを基調としたハイテクサウンドの楽曲が中心なのですが、Hush Hush(ごく内々の,極秘の)というタイトルが表す通り、この曲はオシャレハウス的な楽曲と共にささやくようなボーカルの可愛らしさがフューチャーされており、アイドルソングとして珠玉の一曲になっています。特にキャッチーなイントロと音数が減るサビが聴きどころです。

 

 

今月布教したい曲は以上になります。今月は他にも、YUKIKAの新曲やメシアと人人のE.P.など、サブスク上だけでも良いリリースがたくさんありました。また、阿佐ヶ谷ロマンティクスのアルバムやfromis_9のE.P.は全曲良いので、他の曲もぜひ聴いてください。