とにかく☆ヨ助のデジタルタトゥー

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逆張りオタクを辞めたい考

 

はじめに

 こんにちは、とにかく☆ヨ助です。私事ですが今週の初めに就職先近くのマンションに引っ越し、間もなく入社前研修も始まるということで一人暮らしの解放感と独り立ちにたうする漠然とした不安の日々を送っているところです。

 

 さて、学生時代は悪いオタクとしての青春を送った私ですが、1,2年前から「これだけはやめた方が良いな…」と思っていることがあります。そう、記事タイトルにもある通り逆張りです。

逆張りとは?

 この記事にピンと来て閲覧してくださった方や普段から私と付き合いのある方に対して「逆張りって何?」ということをわざわざ説明する必要などないのかもしれませんが、単なるネットミームである逆張りという言葉に対するイメージは意外と人それぞれだということもあると思うので、逆張りという言葉の意味についてさらっと触れておきます。

 

 そもそも、逆張りという単語は金融用語の一つだそうです。日本証券業協会が運営する『投資の時間』というwebサイトによると、逆張りとは「相場のトレンド(流れ)に逆らった投資法のこと」を言うそうです。つまり、株式相場の値段が下がり調子の時に株を買い、反対に上がり調子になった時に売るという取引方法のことです。

 しかし、インターネット上では、「逆張り」という言葉は金融関連の話題に限らず、政治・社会やエンターテイメント関連の話題に関して「トレンドに逆らった見方」という意味で広く用いられています。例えば、Twitter上で逆張りという言葉を検索してみると、インターネット上で話題のコンテンツをあえて見ない人や時事問題に対する世間大方の意見と対立する立場のことを指して「逆張り」という言葉が繰り返し利用されている様子が見て取れます。

 

 この「世間大方のトレンドに逆らった態度をとる人」という意味の逆張りとオタクを合わせた言葉が「逆張りオタク」です。オタクとはある特定のコンテンツに対して突出した愛着を持つ趣味人のことですから、逆張りオタクとは「ある特定の趣味界隈で、流行りのコンテンツに対してあえて否定的な態度をとる人」のことだと理解できるでしょう。

 

逆張りは誰にとって良くないか

 これまで見てきた通り、逆張りオタクとは趣味に対する個人の向き合い方のことです。趣味の楽しみ方というのは個人の自由の範囲内のことですので、人が逆張りオタクであろうがなかろうが、原理的には全く以てその人の自由であると言えます。

 

 しかし、本人自身にとっての問題はさておき、周囲の人間からすると逆張りオタクは理解の難しい存在のようです。実際に、グーグルの検索欄に「逆張りオタク」と入力すると、サジェスト欄には非常にネガティブなワードが並びます。ネット用語を中心に言葉の意味を解説するサイト『意味解説辞典』によると、「「逆張りオタクという言葉は世の中の一般的な考え方や流行に対して否定的で自分独自の極端な価値観・好き嫌いを提示したがる面倒くさいオタク、屁理屈ばかりで共感のないオタク」の意味合いで使われることが多くなってい」るとされており、逆張りオタクという言葉がしばしばネガティブなニュアンスを含んでいることが窺えます[1]。また、ネット用語やオタク用語の意味解説サイト」を標榜する『ネットペディア』には逆張りオタクの類義語として「天邪鬼」が挙げられているように、逆張りオタクという言葉はひねくれ者の代名詞のように用いられる場合もあります[2]。

 

[1]:「逆張りオタク」とは?意味や使い方、例文や概要 | 意味解説辞典

[2]:逆張りオタクとは?意味や使い方を超わかりやすく解説!|ネットペディア|ネット用語やオタク用語の意味解説サイト

 

 それでも、「逆張りオタク」とはあくまで趣味に対する態度のことですから、逆張り的な態度をとるのはその人の自由です。また、もし自分以外の逆張りオタクのことが嫌いなら、その人のことは放っておけば良いだけです。その結果逆張りオタクが周囲から孤立しても、逆張りという行為がそもそも「世間の大勢とは逆の意見を持つこと」なので、ある意味自然なことでしょう。

 

 しかし、逆張り一筋で早10余年、自他共に認める逆張りオタクの私からすると、逆張りオタクであることは周囲との関係性を複雑にするだけでなく、自分自身にとっても多大な不利益を及ぼしかねない行為であると感じます。

 

なぜ逆張りをするのか -自己反省を中心に-

 私が高校生だったのは2010年代半ばごろ、BUMP OF CHICKENRADWIMPSを筆頭に、00年代から活動を続ける東京事変やASIAN KANG-FU GENERATIONといった歌謡曲風のメロディアスな楽曲とキーが高くて比較的細いボーカルが特徴のバンドが大流行していました。しかし、平沢進や初期P-MODELを経由してバンドを始めた私は、こうしたバンドがあまり好きではなく、ガレージロックやニューウェーブの影響を受けたバンドをコピーしていました。また、ボーカルを担当していた私はフロントマンであり自ら歌詞を口にする立場として、こうした「アンチメインストリーム」の立場をデフォルメし、時には少々過激な発言もしながらバンド活動を続けました。

 

 時は過ぎて大学生のころ、軽音サークルではなくDTMサークルに入った私はバンドマン界隈の文脈からは少しずつ離れ始めるのですが、高校時代を通して作り上げたアンチメインストリームの発想は土俵が変わってもそのまま引き継がれました。もともとロックばかりを聞いていたわけではない私はロック以外のポピュラー音楽や小学生の頃好きだったラテン音楽なども聴くようになるのですが、ここでも「DTM界隈でのメインストリーム」のように見える音楽からは敢えて距離を取り、聴こうともしませんでした。大学2回生の頃、星野源や米津玄師といったこれまでのJ-POPとは一線を画した作風のミュージシャンが次々とヒットチャートの上位に食い込み、ポップス系のDTMerでも広く流行りだしたのですが、私はこれらの音楽を一切聴かずにむしろどんどんとマイナーな音楽を追い求めるようになりました。そうやってたどり着いた先が、タイのインディーポップという当時の国内ではほとんどだれも聴いていないようなジャンルでした。

 

 タイインディーポップの名誉のために弁解しておくと、私がタイポップスにハマったのは決してただマイナーな音楽を追い求めたからではありません。小学生の頃ハマったアニメの主題歌を歌っていたのがたまたまタイのアイドルだったことや、タイインディーズ業界と渋谷系を中心としたJ-POPとの相互の影響などもタイポップスの魅力の一つです[3][4]。また、私自身兼ねてから東南アジアの文化や社会に興味があり、大学で東南アジアの言語を専攻していたのもキッカケの一つではあります。しかし、バンドのボーカル時代からの逆張り指向と私の興味関心がたまたま重なって、タイを初めとした東南アジアポップスdigに励むようになったことは否めません。

 

[3]:特集:「タイへ行くつもりじゃなかった」(!?)──ひそかに盛り上がるタイの“渋谷系”シーン - CDJournal CDJ PUSHによると、タイのインディーズ系大手レーベルsmallroomは、オーナーがバンコクTSUTAYAで偶然見つけたフリッパーズギターのCDに衝撃を受けたのがきっかけであるとされている。

[4]:80年代サウンドでタイから世界へ!POLYCAT と山下達郎 | STUDIO MUSHROOM IRON

 

 ところで、先ほども述べたように、日本人にとってのタイポップスの魅力の一つに、タイと日本のポップミュージックが長年相互に影響を与えあってきたというのがあります。具体例を挙げると、タイ最大のインディーポップレーベルであるsmallroomは初代オーナーがフリッパーズ・ギターのCDを聴いて衝撃を受けたのが設立のきっかけですし、タイシティポップの代表的アーティストであるPolycatのボーカル・Naさんは山下達郎の大ファンを公言しています。このように、タイインディーズ業界は日本のポップミュージックと文脈的にかなり地続きなところにあると言えるのです。そして、こうしたタイインディーズへの私自身の傾倒は、やがて日本のポピュラー音楽への立ち返りを促すものになっていったのです。

 

 しかし、ここで頭をもたげるのが例の「逆張り指向」でした。自分の好きな音楽が過去の日本の流行の一丁目一番地とつながっており、現在の日本のポップス業界はその文脈上に形作られたものだ。でも、思春期に流行りを否定することで自分の趣味を形作り、その上その発想をアマチュアでコピーとはいえ自分の表現に落とし込んできた手前、自国の流行り物に簡単に飛びつくことなど「負け」を認めること同然だ--- こうして20歳を過ぎて少ししたころ、私のアイデンティティ暗黒時代が訪れたのです。

 

 こうして私に精神的な苦痛をもたらす大きな要因となった逆張り精神なのですが、私は逆張りそのものが悪いことでは決してないと今でも思います。

 

 そもそも、日本ポピュラーカルチャーのブームは一般的にマスメディアや製作会社といった企業の活動が中心になって形作られています。その例として代表的なのが音楽グループとしてのAKB48でしょう。AKB48はCDに握手会の応募券などを封入することで消費者にCDを何枚も買わせてセールスを伸ばし、日本のポップミュージシャン人気の指標のひとつともいえるオリコンCDシングルランキングなどのチャートを席巻していきました。しかし、これらの売り上げの内実に目を向けるとファンが握手会の応募券を目当てに購入した数が相当数を占めていると考えられるため、AKB48の音楽そのものが純粋に評価されたとは言い難い部分があります(もっとも、握手会の売り上げは「アイドル」として正当な評価の指標になり得るでしょう)。それにもかかわらず、音楽的な評価をされているとは言い難いAKB48が音楽番組を含めたメディアで頻繁に取り上げられ、音楽的に技巧を凝らした作品がメディアを通した流行に繋がりにくい状況が一時的に形作られることになりました。

 

 このように、産業的に生み出された「ブーム」が複雑な要因によって形作られ、かならずしも多くの人の琴線に触れるものがブームの俎上に載らなくなってきている状況において、逆張りという発想は非常に有効であると言えます。自らの趣味にあったものを上手く選別することで趣味を快適に楽しむだけでなく、物を作る側になった場合にはより理想に近い方向で自分の感受性を形作ることができます。

 

SNS時代における逆張り

 しかし、インターネットやSNSの浸透によりサブカルチャーそのものにおけるマスメディアの影響力が低下し、ジャンルもクオリティも様々な作品が並列で可視化されるようになった現代において、「流行っているかどうか」。基準にコンテンツを選別することは以前より有効的ではなくなってしまいました。また、それぞれの界隈の「通」がより良いコンテンツにアクセスすることも以前より容易になったため、その界隈の中で流行るということは、マスメディアの時代と比べてより純粋な多数決になってきていると考えられます。

 

 ですから、ネット社会において逆張るという行為は、単にひねくれ者の烙印を押されるだけでなく、多数決の原理によって支持されている良質なコンテンツへのアクセスから自らを遠ざけてしまう危険性もあるのです。さらにこのことは、単に趣味としてポピュラーカルチャーに親しむ人よりも趣味にアイデンティティを仮託するオタクにとっては由々しき事態でもあります。なぜなら、オタクにとっての生命線である「趣味のセンス」を磨く貴重な機会をみすみす逃してしまうことに繋がるからです。

 

逆張りを上手に辞めるには

 個人が作品にダイレクトにアクセスできるようになったインターネットの時代において、逆張りはかなり大きなリスクを伴う行為になったと思います。しかし、これまでに述べてきたように、逆張りには作品のクオリティを度外視したマスメディア中心の「ブーム」に巻き込まれるのを回避できるという利点もあります。それでは、こうした趣味者としての奥行を保ったまま流行の作品をうまく選別するためにはどうすればよいのでしょう?まぁ、もちろん趣味なんて楽しめれば何でもいいものではあるのですが、私も含めた逆張りオタクはしばしば趣味にアイデンティティを賭けている場合があるので、一応大真面目に論じてみます。

 

 まず、私はそれぞれのコンテンツに対して作品の背景を知るということが大事だと思います。これはある意味作品そのものではなくその作品がおかれている文脈を読むことになるので作品を純粋に楽しんでいないということになるかもしれませんが、個人的には作品を楽しむことに対して「純粋さ」などというものは存在しないと思っています。

 

 どんな作品も、そしてどんな受け手も作り手も、特定の社会環境のなかで創作を行ったり、コンテンツを消費しているわけですから、作品と作者が切っても切れない関係であるように、作品と社会も否応なく関係性を持っているわけです。そして、良い作品というのはしばしば技術的な洗練具合とともに作品に込められたメッセージ性の高さや新規性によっても評価されます。映画や小説が多くの人に受け入れられるのは、多くの人の共感を得たり、心を揺さぶったりするからであって、そうした人の心を動かす力は記述だけでなくその作品の意味からも発せられているため、受け手として作品を消費する際に作品の背景にも気を配ることで、人の心をより強く揺さぶる力を持った作品を敵撮ることができるでしょう。

 

 しかし、作品の背景を知ることはそのまま複雑な社会のことを学ぶことにもつながっているため、そう簡単にできることではありません。そのため、脱逆張りムーブのはじめの一歩には少々適さない場合があるかもしれません。私自身、興味を持った作品に関しては設定や作り手の社会的な意味を吟味するように心がけていますが、世の中に溢れるすべてのコンテンツに対してそうできるわけではありません。

 

 そこで私は、深掘りするジャンルをかなり狭く絞り、そのジャンル以外では手を抜くという方法をとってみています。先ほども述べたように、そもそも溢れるように存在するこの世のすべてのコンテンツに触れることは不可能なのですが、たとえば深夜アニメや邦ロックという風に趣味のジャンルを絞ったとしても、その中で各々がとても好きなのもと好きでないもの、さらにはそのどちらにも属さないまぁまぁ好きなものという風にある程度好みがあるのではないでしょうか。このように自分の専門ジャンルの中でもさらにジャンルを絞り、強いこだわりを持つのはそのジャンル内だけにして他のものは流行りの物や友達のおすすめを漫然と摂取するようにしています。趣味にメリハリをつけることで、特化したジャンル内ではオタク的なこだわりも追及することができますし、それ以外では情報収集にコストをかけることなく面白いコンテンツに触れることができるので、案外楽しい趣味生活を送れるのではないでしょうか。

 

おわりに

 ここまで、逆張りオタクの利点と弱点や逆張るという行為が自分自身に与えるデメリットについて述べてきましたが、私が提案した解決方法も結局は膨大な勉強や趣味の幅を狭める行為が必要であり、やはりすべてのジャンルにおいて「センスのいいオタク」になるのは物理的な限界があると思います。しかし、アイデンティティというのは歳を重ねても自分を支える支柱になるものですから、もし特定の趣味をアイデンティティの拠り所にしている方が読んでくださっていたとすれば、一旦自分なりに真面目に考えてみてもいいテーマだと思います。

 

 最後に、趣味は所詮趣味以上のものではなく社会生活においては何の意味もなさない、という意見を時たま耳にしますが、自分が好きなことをとことん追求するという行為は社会云々に関わらず純粋にやっていて楽しい行為だと思います。ですから、社会との距離をうまくとりつつ、自分のこだわりも貫き通せるような理想的なオタクライフを送れる人が増えることを願っています。