とにかく☆ヨ助のデジタルタトゥー

とにかく☆ヨ助のブログです。日常と音楽の話をします。

とりっぷ

朝、職場に向かう駅のホームでツイッターを眺めていると、トレンド欄に時事や社会問題に関するキーワードが上がってくることがある。

 

タップしてみると、新聞社やテレビ局によるニュース記事が一番上に表示され、その下にはその話題に対する批評家や匿名アカウントによる感想ツイートが並ぶ。興味本位で読んでみると、目を覆いたくなるような過激発言や話題が飛躍した的外れコメントの間に、「なるほど、一理あるな」というコメントもちらほらある。でも、全体的に感情を煽る言葉が多すぎるのですぐに閉じる。

 

そういうことを何度か繰り返しているうちに、だんだん画面を見つめるのが疲れてくる。目を休めたくてスマホの画面を落とすけど、特に見たいものはない。何を見るでもなく、人でごった返すラッシュ時のホームを眺める。ホームに笑い声は響かず、単調な靴音と駅員の怒鳴り声を列車の轟音が掻き消してゆく。

 

現実、という言葉が似合う。それもそのはず、インターネットの発達で現実は個人の想像をはるかに超えるほど複雑になった、とどこかで聞いたことがある。

 

 

 

何日か前、小学生の頃の友達と久しぶりに会った。京都のとある地下駅で待ち合わせをして、7月のまだ明るい街なかに出た。3年ぶりに見る顔に思わず笑みがこぼれる。他愛のない会話をしながら、繁華街の狭い道をごく自然に掻き分けて歩く。スピーカーから流れてくる祇園囃子が、蒸し暑い夕暮れ時をささやかながら涼しげに感じさせてくれる。

 

中学から公立の中高一貫校に通っていた私にとって、小学生時代の友達はまるでタイムカプセルのようだ。少し洒落た居酒屋でまったりと話をしているうちに、一緒に見たアニメ映画や担任の先生の名前に、学芸会のセリフと懐かしい記憶を少しずつ思い出す。おいしいご飯を食べた後は、アニメショップに行って漫画を買った。仲良くしていた小学生の頃はオタクという言葉すら知らなかったのに、大人になってから似たような趣味を持っているのは不思議だ。普段人前で大っぴらに話すような趣味ではないだけに、独特のシンパシーを感じる。

 

 

 

勤務時間中は、心も体も自分ではない誰かのために働かせる。自分の脳みそも、自分が考えたいことではなく目の前の考えるべきことのために働かせざるを得なくなる。職場で行われることは、大抵自分一人の力でできることよりもはるかに大きいから、いきおい私は私生活まで仕事のペースに飲み込まれそうになる。仕事のために寝て起きて、昔好きだったもののことを少しずつ忘れていく。

 

8時間×5日も働いた次の日は、ついつい何もしたくなくなってしまう。昼前に起きて、枕もとのスマホを手に取って、ツイッターYoutubeを開く。脈絡のない映像や言葉が、脳に無造作に流れ込んでくる。

 

カーテンを閉め切った薄暗い部屋と、生暖かいベッドと、青白い光。

死体が転がっている。

 

 

休日には近所のスーパーに出かけて一週間分の食材を買うのが習慣になっている。出かける前に洗濯機を回して冷蔵庫の中身をチェックし、必要な食材をメモして出かける。給料日の直後には銀行を回って、クレジットカードや家賃の引き落としのためにお金を移す。そうこうしているうちにお腹が空いてきて、ラーメン屋に寄ってから家に帰る。

 

こんなにも凡庸で自分の為の数時間を過ごす年齢に、とうとう自分もなったのかと思う。生きるって案外大変だよと言った、学生時代のバイト先の店長の嗄れ声を思い出す。「つまらない大人になるな」なんて誰かを馬鹿にしたような言葉に共感するのは何かに負けた気がしてならないけど、この繰り返しが大人になった証しなのだとしたら、大人とは確かにつまらないものなのかもしれない、と思った。

 

 

 

旧友と会った夜、帰りの電車で音楽を聴いていたら、音の広がりがいつもより具体的にイメージできた気がした。

 

私は家に帰ってパソコンを開き、作曲ソフトを開く。作りかけのデータを1ヵ月ぶりに開いて、イメージしたことをできるだけ丁寧に再現してゆく。エフェクターのメモリを少しずつ調整して、自分の理想に近づけてゆく。いたずらに大きいだけの音が少しずつ整理されて、一つの音源としての形を成していった。お酒を飲んだからだろうか?久しぶりに作曲で何かを掴んだ気がした。

 

はたして、この曲は未だ製作途中だ。会食の夜に突然思いついたアイデアが、たった一晩で大きな炎になるはずがないのだ。でもそれは、決して何かを諦める理由にはならない。今の私にとっては、マッチ棒の先につくような小さな火を絶やすことなく、どれだけ燃やし続けるかのほうが大切なのだ。そうすれば、火は少しずつでも大きくなるかもしれない。ここ数年間自分に与えられるであろう時間やお金は、その火をできるだけ絶やさないために使っていかなければならない。

 

 

 

こんな文章を、貴重な休日の半分を使って書いた。これが何のためになるのかは分からない。でも、もし今の生活に対して何かしら思うところがあるのだとすれば、自分の頭の中にあることは極力自分で形にしなければいけないし、それがすぐにできないなら、できるようになるための訓練を積まなければならない。

千里の道も一歩から。

 

 

 

7/30 25歳の誕生日。